物心付いた頃からペンキ臭い車に乗せられ現場に行ったのを覚えています。

1976年4月18日に埼玉県にて生まれました。
物心を付いた頃から、父親が塗装職人とし働き、
よくペンキ臭い車に乗せられ現場に行ったのを覚えています。

それから、ときは過ぎ高校3年生になった私は、進路を考えるようになりました。

中、高と陸上部で運動をしてきた私は、
進学して陸上を続けていきたいと思っていました。
頭は良い方ではなかったのですが、
理数は強かったのと、陸上でもそこそこ記録も持っていたので、
「どこかの大学に引っかかればいいな〜」という気持ちで進学を希望していました。

ところが、家業の現状を見た瞬間、私の気持ちが変わってしまったのです。

その当時、バブル崩壊後という状態でしたが、仕事が大分ありました。
私の父は朝4時から夜11時まで毎日労働していました。

朝、内部の工事をして7時くらいになると、外部の工事の現場に向かいます。
そして、夕方6時過ぎるとまた、内部の現場に向かい
夜の11時ごろまで仕事をしていました。
この現状に私は進学することよりも、家業を手伝い少しでも父親が楽になれればと思い、
職人の道に入ることになりました。

そして、私が家業に入った年に法人となりました。
平成7年6月1日のことです。
その当時は(有)及川建装という名前でスタートしました。

ところが、私が入社後景気は徐々に悪くなっていきます。
新築会社の下請けをやっていた当社には、
新築工事の外壁の塗装がメインだったのですが、
新築業者がコストダウンを考えた住宅を作るようになり、
塗装が全くない住宅がどんどん出来ていくようになりました。

それでも、ベランダのFRP防水だけは親会社からやらせていただき、
何とか会社を続けていました。
そんな状態が続く中、私も会社の危機を感じていましたが、
どのような対策をすれば良いか分からず、
もしも、会社がダメになることを考え、
夜はスポーツジムのインストラクターのバイトを始めました。

会社がダメになったとしても、そちらの道を選択しても良いと思っていたのです。
しかし、運命というものはそうはさせないものなのですね。
私が26歳の時です。
父親からの電話でトラックが高速道路で炎上したという電話。
父親は無事だったのですが、商売道具であるトラックがなくなってしまいました。
しかも当時親会社からの未払いが1年分たまり、うちにはお金が全く無い状態でした。

そこで私がスポーツジムで働いていて貯めていたお金を出し、
トラックを購入することが出来たのですが・・・・
「出したお金は返ってこないのではないか??」
ということに気付いたのです。

とにかく、緊急の危機を乗り越えたのですが、
その後のことを考えていなかった私は、今度は出したお金が返してほしい気持ちになり、
安易に「仕事があればお金は返してくれるだろ」と考えました。
これが、私が営業というものを始める最初のきっかけになったわけです。

今まで、職人しかやったこの無い私にとって営業とは未知の世界でした。
多分その頃は、自分が営業をしていることすら理解していなかったと思います。

毎日、車で出かけては建築会社を探し飛び込みをしていました。
とにかく「仕事を下さい」ということしかいえませんでしたが、
この辺りの会社はかなり飛び込んだと思います。
その甲斐あって、かなり仕事量は増えました。
しかし、信じられないほどの安い単価。
私が若いということもあり、かなりいいように使われていたのだと思います。

表と裏がある人ばかり。
会社経営とは悪い人間にならなければいけないのかと本当に悩んだ時期でした。
弱者はいじめられる時代なのだと本当に感じました。

わざと仕事を止める現場監督や赤字になるのを分かってて、
無理な要望をする人たち。
自分たちが偉いといわんばかりの態度。
ある新年会の席などでは、意地の悪い現場監督にビールを注ぎに行くと、
満タンのコップを私の顔を1度も見ず渡されました。
何とも悔しい出来事でした。
このとき、2度と人に媚びないで生きようと誓いました。

自分自身、力をつけ自分が正しいと思うことを
やっていかなければいけないことを感じました。
もう2度と惨めな思いをしないために・・・

そんなことを思い、下請けは全てやめました。
しかし、直接お客さんから仕事をどのようにいただいて良いか、全く分からない状態。
どうすれば良いか?色んな勉強会に行きました。
それでも、たいしたヒントにはならず、次の1棟が終わると
いよいようちは会社をたたまなければいけない状態になってしまったのです。

そんなとき、私はある人に出会いました。
その方は自分を酷使して、一生懸命働き親の借金を返していたのです。
いつも明るく不満を言わないその方を見て
自分の低落さに恥ずかしい気持ちになりました。

自分のプライドで親会社の仕事を辞め、
お客さんからは仕事を頂けない自分自身の弱さを親のせいにしていたこと。
周りを悪く言って自分自身逃げ回っていたこと。
どうせ会社が潰れるのであれば、やることやって潰そうと開き直ることが出来たのです。

そう思ったとたん、道が開けるものですね。
神様はいるのかと思うような出来事が起こったのです。
ある日、パソコンの前でインターネットを見ていると、
凄く興味のある教材に出会いました。
3万円の教材でした。
当時の私たちにとって3万円は大きな出費で本当に買うのを悩みましたが、
買わなければ始まらないと思い購入しました。
それを寝る間を惜しんで何度も何度も見ました。

それを、ホームページに生かしてみると、仕事が取れるようになったのです。
今までは、集客という自分たちには高すぎるハードルを
簡単に越せることが出来たのです。
私が始めて集客できたツールがホームページだったのです。

そして、その年の夏、平成18年8月18日(有)及川建装から
(有)マルキペイントに社名変更しました。

社名変更した理由ですが2、3年前に会社を見ていただいたことがあり、
その時に言われたことが「1番悪い時に会社を興しました」と言われ、
代表を変えるか、もしくは会社の社名を変えるしかなく、社名変更をしました。

なぜ、マルキと良く聞かれるのですが、
見て頂いた方に「画数的にマルキがいいよ。どう?」と言われたのです。
私は「かっこ悪い名前だからやだな〜。」と思い父親に言うと、
父親の田舎(宮城の三陸海岸沿いの小さな町)の屋号がマルキだよと言うのです。

それを聞いた私は、すぐ田舎に電話をし聞いてみると、
本当は屋号ではなく、父親の9代前の先祖が
その辺りでは大きな船を持っていたそうです。

その船で地域の人たちと漁にいき、
その船の旗にマルキという文字を付けて漁に出ていたそうです。

その由来から、今も田舎ではマルキと言うと父親の実家のことを言うようです。
それを聞いて、先祖との繋がりを感じ、この名前にすることに決めたのです。

その後、ホームページの集客が順調だったのと、
昔から職人気質の父親の仕事がうまくかみ合い問題ない状況だったのですが、
私自身、不安に思っていたことがありました。
それは、今はホームページで集客が順調なので問題ないが、
この先ホームページの集客も難しくなる時代が来るのでは??と感じていたのです。

その不安から新たな集客方法を見つけなければいけないと思い、
平成19年の夏に住宅・リフォーム情報局の会員になります。
その当時、自分の不安を消す為に、とにかく集客、集客だった私ですが、
そこで集客以上の、経営者として、また人間としての大きなことを
学ばせてもらうことになります。

それは、人としてのあり方です。
世の中に対しどのように貢献していくのかを考えさせられ教えられました。
自分たちの仕事はツールでしかないこと。
それはそのツールを使うことで世の中に貢献をし、そのことで自己成長をしていくこと。

今までは、お金を得ること、生活していくことだけを考えガムシャラにやってきました。
しかし、そんな低いレベルではなく、
もっともっと人間として高い考え方を教わったのです。

目的は何か?不安やトラウマから目的を見失ってしまいます。
しかし人生の目的は「幸せ」を得ることだと私は感じたのです。
自分だけでなく大切な人や感謝している人、
関わった人たちが幸せであることが、重要なのだと思いました。
仕事を通じ、人生をどのように生きていくのかを学ばされ、未だ学んでいます。

そして今年平成22年8月26日に
(有)マルキペイントから(株)マルキペイントに変更し、
代表も父親から私、及川正基になります。
会社は小さいですが志は大きく、「貢献」「感謝」を忘れず精進し、
皆さんが幸せであることを願い前進していきたいと思っています。

平成22年6月吉日
及川正基